■ 2003年1月16日(木)

  あるリタイアメント − さわやかな第2のスタート


  エプソン販売 専務取締役 白石吉昭氏


  開業してから、元同僚から白石さんが定年退職されるという話が流れてきた。
白石さんとは、エプソン販売 専務取締役の白石吉昭氏のことである。

 私が諏訪精工舎(現セイコーエプソン)に入社した時の最初の上司(係長)である。もう随分古い話になるので多くは覚えていない訳だが、一般に会社生活の中で は多くの上司と遭遇するわけであるが、どうも最初の上司というのは特別なのかもしれない。そんな思いの中で少々記憶を辿ってみたい。

 仕事のことはあまり覚えていないが、寮生活を始めた私に早起き野球を薦めて頂いた。当時、諏訪では早朝野球が盛んで60チームくらいはあったと思われるが、その中でもたまにはリーグ優勝するくらいの強豪チームであった。オーナーの久保田さん(会社近郊で骨董品店を営む)とか今は他界された鎌倉監督、今は雲の上の金子副社長、久保田取締役、宮坂部長他 そうそうたるメンバー  ・・・の若かりし頃である。
 白石さんは、1番サードでチームのキーマンで切込隊長としてまた長身のサードとして相手チームには非常な威圧感を与えたものだ。ただ妙なものである。長身が故に見事な までのトンネルが記憶にあるのはなぜだろう。そして、落ち込むことなく周りからドンマイ、ドンマイのコールがかかる こんな人柄なのである。
 また、よく酒にもさそって頂いたものだ。よく2次会ぐらいがおわるとお宅に誘っていただいた。これがまた大きな楽しみがあったものです。それは、お宅には奥様が演奏されるピアノが置いてあって、その当時、小学1,2年だった長女昭子さんが客人たちに演奏を聴かせてくれるのである。私はやや酔った中で極上の至福を感じたものである。特に、トルコ行進曲かショパン幻想即興曲を聴いた時の興奮は今でも記憶に残っています。そして誓った「将来娘ができたらこんな家庭にしたい。」・・・・

 数年の内に、白石さんは会社の時代時代の要の部門に転籍された。その時その時にきちんとした業績と白石ファンつくりをやられてきた。

 再開したのは、エプソン販売に移られて、システムビジネスを模索されている時である。メーカー販社の立場の中で、どう付加価値営業、ビジネスを実践するかで悩んでおられたのだと思う。当時、私は諏訪赤十字病院のSIテーマをなんとか実現し、苦悩の中でエプソン販売での業務拡大か独立開業かで悩んでいた。そんな中でも白石さんは専務の立場と古い係長当時の暖かさで迎えていただいた。本当に感激したものである。  (略)

 2月から新たなスタートを切られる。何も心配はない。あのバイタリティ、人柄の中で、人を引き付け信頼を与える資質は天性の財産ではないかと思う。
 まずは、今までのお付き合い、ご指導に感謝するとともに、今後のご活躍、ご健勝をお祈りしたい。

                                村田

-P.5-

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